2013年07月21日

池上彰 血祭り録 2013年参院選挙

山本大臣(群馬) 「7つの担当を言ってもらえませんか」(彰)
         「(5つまで言って)あと2つあります」(山本)
         「残りのふたつも大事ですよね」(彰)で終わる
     
「丸川珠代さんは6年前投票にいっていませんでした。それで立候補されて当選していました。事務所をでられたということで番組への出演の約束を果たしていただけませんでした」

「予算をもってくるのが自分の仕事」自民党佐藤議員
「農業に従事していない、農協の3代目、山田としお候補 農協に支えられた候補 農家の人たちはそっぽを向いている」
「安倍総理はオバマ大統領からい嫌われているのでは」(彰)
「心配性ですな、同盟関係にある国で信頼はあります」(安倍)

その後、石原共同代表の出演の約束も果たされず、

大丈夫なのか番組として???

共産党には
「共産党という名前をやめたらという話をしたことがあるのですが、資本主義の否定を目指しているので共産党という名前は変えられないとおっしゃっていた」
社民党は
「共産党と同じように見えますが、共産党の勢いとは違った結果となったことをどうみていますか(福島氏にたいして)」
神奈川で当選した公明党さんに
「(選挙支援をすることが信仰を深めることであると証言する学会員のVTRを見せたあとで)政教分離の原則をどうお考えか」この公明党さんは自分も学会員であることを認めつつ「宗教活動を制限することなどを公明党はしていないから、政教分離の原則には反しない」との見解。
鈴木宗男が秘書時代(1975年)に就職斡旋の陳情を受けていたVTRを紹介して、本人に確認。

と、いろいろあったが、全体としては昨年の総選挙ほど面白く無かったです。

議員先生方もガードしてきましたね。




posted by ガレージランド at 21:28| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ 映画 芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月08日

会津の抵抗論

抵抗にこそ祝祭があり、生命のきらめきがある。
夜の闇の中で息を潜め逆襲を企てるもの、明日の過酷な防戦に備えて心を開き団結を誓う一団、そこには自由があり連帯がある。

「八重の桜」の5月からこっちは、徳川がだめになって、会津が追い詰められていった。
会津の素朴で単純な精神からすれば、都で起こっていることには大切なことが欠けていた。「義」がない。孝明天皇からの信頼が厚く、誰よりも朝廷に尽くしてきた会津が朝敵となることは明らかにおかしなことだ。
この欺瞞を力で押し込め、展望のないまま頂点についたのが長州であり薩摩であり公家たちだった。理想などなく、ただの権力闘争であった。「八重の桜」では見事なまでにこのことだけを語っている。今までここまで話を省いた例はないだろう。西欧に対抗するため、民衆を救うため、いろいろな苦悩の中で、頼りにならない幕府を倒すということになってしまった、というのが一般論であり、明治以来のいろんなことがこの枠組みのなかで消化されてきたはずである。徳川が帝を軽視し、政をおこなう能力がないので、徳川を排除し、薩長が朝廷中心の政体を作る、くらいの適当な話である。戊辰のころに明確な国家像があるわけでなく、結局のところ戦国時代の続きで、本能寺の変と変わるところがない、極端すぎるが。
戦国時代と違う結果となったのは、西欧、特にイギリスとロシアの存在だったろう。イギリスが清を侵略しなければ、イギリスがたやすく日本に来ることはなかっただろう。ロシアが南下を意図しなければ、島津斉彬は吉之助に違う話をしただろう。
明治維新をきっかけにして日本は急速に近代化した。国際社会における日本の地位の高さは東アジアにおける産業革命と民主的な政体改革を明治時代におこなったからである、と歴史の教科書はずっと教えている。そういう意味では、勝者=官軍の神話がその前におかれている不合理で陰惨な経過を省いている。暴力的に陰謀と策術を用いて、帝の権威を背景に、と。気に食わない、邪魔な者は武力で血祭りに上げ、暮らし親しんだ土地から追い出したのである。正義はここでも勝者のものであり、敗者には惨めに寒くて貧しい生活を強いた。これが近代的国家の成立だというのであれば、なんというパラドックスだろうか。

恥ずかしながら、会津の人たちがなぜあれほどまでに抵抗したのか、長い間よくわからなかった。今回、考えてみてよくわかった。
会津の善良で無辜の人たちが必死に抵抗し、殺されて行く。いたたまれない気持ちでこのドラマの見続けている。このような図式で今の世界のどこかで抵抗し殺されてる人がいることを想像せずにはいられない。自分の故郷を義をもたぬ強大な武力により蹂躙されることに抵抗する、この美しい行為に動員され死んだ人は数限りないだろう。
歴史を歪めるた報いは、この国の今のありさまであるというのは大げさだろうか?
アメリカへの服従が生き残る術であったはずが、今はすべて、となった。アメリカを通してしか世界が見えない。それで良いのである。それを自らが選んだ、そんな話になってしまっている。それではあまりに情けないので、プチナショナリズムが容認され、あいまいで形のない伝統回帰を叫んでいる。永続敗戦ではない。永続官軍なのである。そこには敗者はいない。この国は明治維新を成し遂げた優秀な民族なのである。みなが靖国にいけるのだ。

大河ドラマの会津といえば、
それは私がこのブログでもすでに取り上げている「獅子の時代」の平沼銃次である。

八重は会津戦争の後、京都に移るが、平沼銃次は青森、東京、九州、網走、そして秩父へと転戦する。
維新、西南戦争、そして自由民権、最後に秩父事件。

興味があれば絶対に獅子の時代をみてください。



さらに秩父事件にも興味がわいたら






posted by ガレージランド at 18:11| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 劣化していることを憂う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月16日

寺山修司の資料、母校・早大に寄託 演出メモなど5千件

寺山修司の資料、母校・早大に寄託 演出メモなど5千件

田中未知が引継いでいた寺山修司の未発表を含む資料約5千件が今春、母校の早稲田大学演劇博物館に寄託された。「自筆原稿や演出メモ、学生時代のノートなどで、映画や演劇、詩歌、評論と多岐にわたった創造と思考の軌跡をたどる貴重な資料」を田中さんと共同研究し、11月には「寺山修司展」を行うそうだ。

寺山はつさんの養子となった九条さんと森偏陸がもっていたものとは異なる資料で、記念館とは別のものだとすれば、もう一個、記念館を作ることになるのだろうか?

posted by ガレージランド at 17:51| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 寺山修司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

寺山修司って本当はどんな人だったの?

あの大先生は
虚実がぐちゃぐちゃで、そこがいいのだが、
本当はどうだったのか、
っていうことを知りたい欲望も、良い趣味とは言わないまでも、
抑えきれないまっすぐな気持ちですね。
好奇心なのか、研究心なのか、それとものぞき趣味?

そんな探索は休むに似たり、
世の中にはいろいろありますよ、そんな思いにこたえるものは。
でもたくさんありますね。



























リンクに表示されるテキスト



ざっとこれくらいありますな。

近親者(一応)でいえば、お母さんの寺山はつさんのもの、あるいは奥さんだった九條今日子さん、ですかね。
もっと近くにいた人の記録のほうが価値が高いという見方もありますでしょう。田中未知さんの本は寺山の「実」を語っているに違いないと思わせるような、鋭い切り口で寺山さんの実生活の記述があります。

近いというと、天井桟敷のブレーンだった高取英もそうですね。説得力があります。
萩原朔美先生のものもなかなかの内容でした。

どれを読むのが良いかなどは愚問であります。

いろいろ読んで、想像するのです。
いろいろな「寺山への愛」が感じられるでしょう。
会ったことも話したこともない寺山修司の実体をさらに知りたいと思うのでしょうか?

私はこれらの本を読み重ねて結局のところ、
「誰か故郷を想はざる」


「家出のすすめ」「幸福論」などをより楽しく読めるようになりました。

亡くなってから30年、ちょっとした出版ラッシュみたいです。
10年おきにやってくる行事ですが、今回でているものにこれがあります。



この本を眺めながら、見慣れたものなかにまぎれているはじめて見る写真のなかに、自分の姿をみつけたりして、また新たな寺山修司を作りあげるのでした。
寺山修司が今の世の中でよみがえり、元気に書いたりしゃべったりしたら、まあまあ面白いのではないのかな、などと。


posted by ガレージランド at 17:37| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 寺山修司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月07日

90年代の全日本プロレス

ある雑誌の表紙である。
えげつない角度のバックドロップ、なんて表現が相応しい。
もしくは、投げっぱなしジャーマンかも。


三沢は何度も投げられ、その都度、起き上がり、エルボーで相手をぶっとばしてきたのだ。

改めて合掌。

あのころの全日本プロレスを見れたことは一生の宝だよ。
本当にそう思う。
今を嘆くより、あのころを語ろう。
三沢の不在を悲しむより、生きている川田の、小橋の言葉を聞こう。

posted by ガレージランド at 20:19| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月06日

ゆとり世代の尾崎豊

最近の朝日新聞にでは、ゆとり世代がなにを考えていて、それが親の世代といかに違うのかをコラムとして掲載している。
お金のこととか、将来のこととか、競争せずがつがつせず、「痛い大人」になることをうまく回避している心理構造が語られているのだが、そのうちのひとつのエピソードに「尾崎豊」のことがでてきた。
新聞のこと、そしてその解説をしているのが「香山リカ」なのでどこまで信じられるかはかなり疑問が残る偏った書き方だった。
でも、もともと尾崎豊的な心象風景に違和感のあったこともあり、まだ覚えているので書いておく。

尾崎といえば
「15の夜」と「卒業」なのだが、
これを聞いた昨今の中高生は共感とはまったく別の
「こんなことしても無駄」「先生とはうまくやるのが得」「ここまでやったらまずい」などの
批判的な感想がでてきた。
今までなら誰もが尾崎に心を揺さぶられたはずなのだが、このあたりもゆとり世代が他の世代と大きく異なることを示している。

なんて内容。

そもそも尾崎がなぜ世代間の比較軸になるのかよくわからん。
尾崎を聞けばこうなる、ってのは誰かの思い込みで、ゆとりでなくても、もともと尾崎が現役だったころにもあまり良い歌だと思わず、心情に共感しなかった人もいるだろう、と思う。
なにしろ俺たちがそうだったのだから。
学校や教師に対する不満などを歌にすることに何の意味があるのだろう、と思っていた。反発だけがテーゼであって、破壊にたいする衝動が生命のきらめきとはならないということを少なくとも僕は本能的に感じていた。だから全然、尾崎のことを愛せなかったし、それに熱狂する人もよくわからなかった。
なぜこんなにも人生に倦んでしまい、元気よく矛盾と欺瞞と寂しさを暴きだすような歌を歌ってカリスマと呼ばれるのか、ぜんぜーんわかりませんでした。
音楽的にも新しくなく、「金八」的厨房の世界をちょっと「おしゃれに」に「カッコよく」歌にして、ロック的な世界に慣れていない若い子たちをオーディエンスに引き込んでいたように見え、エピックは商売がうまいよ、などという話を売れないバンドをやっていた私は周囲に話していたのを思い出す。海援隊もそこまでできなかった。
エピックソニーは当時そうやって、渡辺美里とかなんやらを売り出していた。
「青春ロック」
バブルだったんだよ、世の中は。
ただ面白くはあったけど。
だってさ、東京ドームのコンサートで、中に入れなかった連中がどうしていたかっていうと、壁に耳をつけて崩れるように泣いていた、それが何百人もいたんだ。後楽園で馬券をすった後、それを目の当たりにして寒い感じがしたな。その数年後に地下鉄サリン事件だった。あの事件の異常さと、あの日の後楽園の光景は直感的に結びついた。

ゆとり世代はなにかと揶揄されるが、それほど悪くないよ、
がんばんべ
posted by ガレージランド at 08:53| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月04日

96条を守ろう

 「(現行憲法は)連合国軍総司令部(GHQ)の憲法も国際法も全く素人の人たちが、たった8日間でつくり上げた代物だ」と安倍氏は発言しているそうだ。

その素人の人たちよりも今回の96条をターゲットにした改憲活動は素人の行動である。
96条は極めて欠陥のないまっとうなもので、立憲主義と法の支配の表れである。近代法の整備のなかで、あたりまえに定められるべきことが書かれているだけのこと。
素人がゆえに、普通に「置いた」だけのように見える。
これを「素人」が作ったことろ理由に、都合の良いように換えるのは民主国家であることを止めるに等しい。

経済ではグローバルスタンダードなんてことを盛んに言うくせに、もともと政治はローカライズ、それに引っ張られて司法もローカライズ、世界から嘲笑されるだろう。こうやってなにがなんだかわからないうちに、TPPやなにやらでどこに帰属していいのかわからないような国民意識となってゆくのだろう。そうさせないために、真剣に96条はそのままにして、そのルールに従い憲法改正を行うことが絶対に必要だ。
学校で法学などを学んだ人なら絶対に理解できることだ。
この原理はいわゆる「基礎法学」にある当たり前の考え方で、これを理解せずにあらゆる法の習得はありえないからである。法の支配こそが近代法学の基礎であり、現代西欧型国家の根本である。
そこから離脱し、独自の法思想を求めるのなら話は別だが、どうもテクニック的なことばかりで、解釈改憲のほうがはるかに理性的であった。96条の改憲を唱える人たちは間違いなく、あるべき国家像が幼稚すぎるし、これまで多くの人たちがチャレンジした改憲を勉強していない人たちである。
ほかの条文の良し悪しは私にはわからないが、96条の改憲だけは絶対に悪である。これこそが憲法の改悪であることは議論の余地がない。しかしこのことを小林節しか言わないので、この国の法律学会も腐ってるのだということがよくわかった。
posted by ガレージランド at 12:58| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キヨシロウがいない世の中

キヨシロウが死んでもう4年となった。

つまらない世の中である。

でも、清志が言いそうなことを想像するのは簡単になってきている。
キヨシロウの精神は僕の血肉になってきているようだと、勝手に思っている。

福島第一があんなになって、原発がない世の中こそがすばらしいのだと、多くの人たちが行動を起こしている。
が、新聞もテレビもほとんど無視だ。

別に今にはじまったことではない。
清志が堂々とそれを歌った時の世間の反応、特に音楽業界の冷たい扱いをしていたことで、こんな世間だってことは学習していたことがだから今さら驚かないし、そんなものだと思っているよ。

僕はあのアルバムの「ラブミーテンダー」と「イマジン」くらいに愛に満ちた日本のロックを知らない。
だけど日本の放送局は全然ながさない。皆に聞かせない。
だめだ、この国のメディアはさ、保身ばかりで、この曲を毎日流さなければいけないことがどれくらい罪なのかってこともわからない。本当のことなんていつもこうやってどこかに隠されて、安定と快楽、自己の生活の保全が最優先だ。足元がどんなにエラく危険なことになっていても、それに気がついてばたつくカナリアの鳴き声を無視する。最悪だ。ロックってもんがわかっていない。本当にカッコいいことがわかっていない。

あげくにカナリアはいなくなって、社会のことなど知らない奴らばかりさ。
キヨシロウをしのんで武道館でやっているイベントももはや、石原裕次郎や美空ひばり、マイケル・ジャクソンと同じ部類さ。清志が訴えたかった、カッコいいロックなんてのはどうでもよくなっている。

まあどうでもいいのだ、俺は俺の心の中に国家を構築することにぼろぼろになりながら励むだけさ。
残念ながらロックで独立はできそうもないけどね、100%無理だ。

せめてこの本くらい読んでよね。

原発を完全にコントロールするほど人類には知恵はなかった。
リスクをとるかどうかは、コントロール可能なことが前提だが、原発はリスクを管理する範疇のものではない。だから程度の議論などは無用で、用いるべき技術ではないのだ。危険とその見返りを計算して、破滅しないようにするなんて賢いことができないということを福島第一は示している。文明の限界だろ。
限界の外にあるものにあえて手を出して、100年後の人類に対し責任を持たないなんて、なんて子供なんだ。自分たちの子孫になにを残すのか、そんな単純なことを考えずに、現世的な利益を求める。そういうのをおろかっていうんだ。
本当に貧しい思想とはそいうことだろう。冷静に考えれば50年なのか100年なのかわからんが、貧しく生きることを受け入れるというのが本当の知恵だ。貧しさに耐え、考え抜けばいいのだ。その知恵がないのであれば、理性なんてものをあてにしているこの文明などはまやかしで、愚かな幻想だ。まさに足元を見ないで、足元のゴミをそのままに、偉そうな講釈に酔っているのが新聞だしテレビだ。
テレビなんてもうやめちまえばいいんだ、面白い番組があるかよ、うむ。

愛しあっているかい、否だ、否。
自分の子供を愛しているなら、故郷を愛しているのなら、してはいけないことは自明だし、しなくてはいけないことをすぐに始められる。
愛こそすべてだ、ラブ ユア チルドレン。
イマジン、想像しろ、こんなもんなくなってどうにかなるだろ。
大切なのは人で、人が健康でなければならない、反論できない理屈だ。国富というのは人材のことである。カネはおまけ、まじめに人を育てたおまけ、くらいなもんだ。
憲法をかえれば人が育つのか?こんな汚染列島に。
国の土からしか、次世代を担う人は育たない。
愛があれば、子供を殺さないし、子供が子供を死ぬまでいたぶらない、大人同士が愛をもって話をしないから子供がだめになる。
今子供同士でやっていることが、おそらく10年後には国家レベルでおこなわれることになるだろう。
いくら理想を述べたところで、家に帰って楽しい家庭を作れない輩が、自分の家以上の国家、社会を作れるだろうか?選挙で勝ち、新しい政党を作る過程になにをやっているかをみれば、そいつらがどんな国家を作るのか見えるのさ。半径10メートルの範囲でやっていること以上のことができるのか?
足元のゴミを拾えない奴が、良い国なんて作れるわけがない。

だれか歌ってくれないかね?
自由なカッコいいロックを歌ってくれないかね?

キヨシロウがいないから、こうして考えているだけなのだが、彼の歌を30年以上聞いて育った僕はカッコいいロックがでてきたら、それを称えることくらいをやろうと思います。
ロックは表現であり、生き方であります、流行でない。





posted by ガレージランド at 01:13| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月03日

鉄路を走る寺山修司のTシャツ

145 寺山修司 NO MUSIC, NO LIFE. T-shirt TypeA Mサイズ

タワレコオリジナルなのかな
とにかくまだありますので、夏に向けて1枚いかが?

予約しておいたらおととい届きました。
良いと思います。続きを読む
posted by ガレージランド at 23:23| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 寺山修司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

昭和精吾事務所「寺山修司命日公演「われに五月を」」


昭和精吾事務所「寺山修司命日公演「われに五月を」」
作/寺山修司 音楽/J・A・シーザー

出演:こもだまり・イッキ
番外出演:昭和精吾(元・天井桟敷)

■日時■ 
2013年5月4日(土・祝)15:00/19:00
(キャパの都合上、各回50名様限定、定員になり次第〆切)

■会場■ 新宿シアターPOO http://www.poo-stage.jp
TEL 03-3341-8992(電話受付17:00〜0:00)
東京都新宿区新宿3-35-5 守ビル3階
※JR新宿駅の東南口前の階段を降り、甲州街道の沿道を進んだ左側、1Fが蕎麦屋のビルの3F。
 改札より1分30秒。

■チケット■ いづれも1ドリンク付。
前売・予約2,500円 当日3,000円

詳しくはこちら

そしてその後に、

『寺山さんを偲び、昭和精吾の古稀を1年半遅れて祝う会』
2013年5月4日(土・祝)
『われに五月を』終演後の新宿シアターPOO
20:30〜22:30の予定
会費2000円 二時間飲み放題

最近、寺山修司を知り、天井桟敷ってどんな感じ、って思っている人は
ぜひ昭和さんをみてください。
すばらしいですよ。
posted by ガレージランド at 23:18| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 寺山修司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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