2009年04月22日

墓標への道案内

寺山修司さんの墓標は高さ175センチもあり、高い台に開かれた本がのっているような形をしている。
「墓は建ててほしくない」なんて書いていましたが。。。

JR高尾駅南口から徒歩で25分くらいかかります。
(タクシーを使うと10分弱)

大きな地図で見る

高乗寺高尾霊園(八王子市初沢1425)を目指します。

まずは甲府方面に歩きだします。
橋を渡ってつきあたりを左に折れて、それからはずっと山中への一本道をひたすらに上ります。
山門をくぐって、道なりに行くと左側の山肌に階段があって、それを上がった中腹、A区19側にそれはあるはずです。

ここ10年くらい行っていませんが、どうなっているでしょう?






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2009年04月16日

5月の強い風を待つ

今年も来月はもう5月ですね。当たり前のことを誰に話しかけているのやら、不可解ですが、まあそう言ってみたくなる季節です。
今年はなんだか桜が咲いて季節戻りがあったかと思っていたら、一足飛びに初夏になってしまったような陽気で、5月のさわやかな強い風が吹きわたるのかと心配です。
私はその強い5月の風にあたると、寺山修司が生きていた時代を少しだけ夢想できます。彼は「5月に生まれた」と書き、そして彼は5月に死んだ。
「寺山修司青春歌集」の解説に中井英夫は書いています。。
「消えない歌人のふしぎさはいやというほど例のあることで、墓の中に横たわりながらも、いま一度ど うしてもという使命感につらぬかれたときだけ、巨人ゴーレムさながらに土をふりはらって起きあがれ ばいいのだ。」

皐月賞はどうなるのでしょうね。
あの年の皐月賞は雨だった。
私は漫然とその中継を見ていた。あれから25年だ。
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2009年03月30日

はだしの恋唄―寺山修司散文詩集 (1957年)



この本のすごいのは間違いなくこの値段。
理解できません。
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2009年03月21日

寺山修司◎映像詩展2009

寺山修司◎映像詩展2009

2009/04/25-2009/05/08まで
トークショーやミニライブも決まってきました。
「寺山修司・劇場美術館1935-2008」で製作された作品も上映されるので、青森に行けなかった人は要チェックだ、な、とか。
posted by ガレージランド at 17:10| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 寺山修司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月19日

寺山修司「けむり」

「けむり」

ことばで
一羽の鴎を
撃ち落とすことができるか

ことばで
沈む日を
思いとどまらせることができるか

ことばで
バルセロナ行きの旅客船を
増発できるか

ことばで
人生がはじまったばかりの少女の薄い肩を
つかむことができるか

私は
かなしくなると
けむりをみている


この詩はすっとぼけている。
このおとぼけの顔が寺山修司のユーモアだ。

なんで悲しくなっちゃうのだろ?
そしてけむりなのだろう?
このけむりはなにが燃えているのだろう?




posted by ガレージランド at 10:42| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 寺山修司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月17日

森山大道

「ああ荒野」の写真をとったのは森山大道がNHKの特集にでていた。
「荒野の果てに連れて行ってくれるような写真」「森山はレンズでなにを燃やすのか」そんな寺山の言葉を森山は今でも覚えているという。「日活のスターか東映のスター」みたいな「くさいことを言う」ひとだったという。


この番組では60年代中期から活動を開始した森山が、自身の軌跡を振り返りながら、これからも東京の路地裏を撮り続けてゆこうとする自分の写真について語っている。
多くの時間が新宿について語られていた。

森山大道と寺山修司の「にっぽん劇場写真帖」が見てみたい。

リンクに表示されるテキスト

なんかすごい値段になっていますが、これ復刊しませんかね。
新宿騒乱事件を題材にした寺山作の講談があるのですが、これが結構インパクトある寺山節なのです。

私の知っている新宿は寺山が駆け抜けていった後で、その匂いがまだぷんぷんしているころでした。かなり変わってきたけど、まだ記憶の痕跡が残っているように思えます。しかしこの先の10年ではわかりません。
posted by ガレージランド at 23:45| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 寺山修司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「とり」がでてくる詩

寺山修司のどこかの詩集に「とり」の詩があった。

わたしはひとりというとり

って感じなんだが。

その前後が全然思い出せなくて。

こういう言葉遊びみたいななぞなぞ、でも小学生には「なーんだ」と言われてしまった。
この「なーんだ」がずっと続けていられればいいのに、なんて思う。
子供のころに言えたなぞなぞ、今、いくつ言えるだろう。

食パンとコッペパンが一緒に歩いていたので「おーい」って後ろから声をかけたら振り向いたのはどっち?
ってこれは堺すすむだろって。
posted by ガレージランド at 20:05| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 寺山修司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月14日

「翼について」寺山修司

「翼について」

鳥は飛ぶとき
つばさで飛ぶが
あなたは飛ぶとき
何で飛びますか?

私は暮れやすいビルの
一番高い場所に立って考える
アランの「幸福論」で飛べますか??
モーツアルトのジュピターで?
飛べるか??
あのひとの
愛で飛べますか??

はるかな夕焼けにむかって
両手をひろげると
私はいつでも
かなしくなってしまうのです



質問から始まるこの詩を読んだ時、もしかしたら自分は自由でないのかと思った。自分を縛っているものから逃れるには、飛んでしまえばいいのだ、自分なりの翼を見つけるのだ、などと考えたのだった。
寺山修司は私にはひとつの翼であった。
posted by ガレージランド at 03:08| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 寺山修司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月10日

寺山修司の詩 かなしくなったときは

松山ケンイチに刺激されて、四半世紀前に買った詩集を開く。
当時、詩というものがよくわからなくて、闇雲に読んでいた。ランボーとかヴァレリーとか、マヤコフスキー、アポリネール、エセーニン、ボードレール、金子光晴、谷川俊太郎、中原中也、萩原朔太郎、宮沢賢治などが手元にまだ残っているが、あとは散逸した。
ぜーんぜん、詩なんか必要ない生活だもんね、あはは。
まったく俺はいくつの人生を生きてきたのだ、という思いに駆られる。

かなしくなったときは 作:寺山修司

かなしくなったときは
海を見にゆく

古本屋のかえりも
海を見にゆく

あなたが病気なら
海を見にゆく

こころ貧しい朝も
海を見にゆく

ああ 海よ
大きな肩とひろい胸よ

どんなつらい朝も
どんなむごい夜も
いつかは終る

人生はいつか終るが
海だけは終らないのだ

かなしくなったときは
海を見にゆく

一人ぼっちの夜も
海を見にゆく


posted by ガレージランド at 14:46| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 寺山修司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月09日

「愛の天文学」

この詩には「僕の父」がでてくる。
その子である僕も星を数えて大人になった、のだが、それは悲しいことなのだ。
星を数える親子、その悲しさはなんなのだろう。
人が星空を見上げるとき、それは必ずしも幸せなことではない。星を数えている限り、幸せにはなっていないということだろうか。
それを気が付く時は父親になってしまったと気づく時なのかもしれない。


posted by ガレージランド at 16:32| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 寺山修司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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