2010年10月23日

浅川マキ歴代スタッフ選曲のベスト盤「Long Good-bye」

浅川マキ歴代スタッフ選曲のベスト盤「Long Good-bye」

ロンググッバイ、そう、寺山さんの18番ですね、なんどもモチーフにして、いろいろな作品になっています。
その一つとして、浅川さんにも送られたもの、それにちなんで、このベスト盤のタイトルになっている。

ロンググッバイというと、ハンフリー・ボガード、通称、ボギーと、寺山を思い出します。
どっちも徹頭徹尾、芝居がかっていて、カッコいいんだけど。。。
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2010年10月10日

J・A・シィザー氏監修「わたしの演劇ノート展」、パルテノン多摩で開催中

J・A・シィザー氏監修「わたしの演劇ノート展」、パルテノン多摩で開催中http://www.tamapre.jp/news/2010/10/07/engeki-note-ten.html

パルテノン多摩では今月16日(土)、17日(日)の2日間にわたり実験的幻想音楽劇『阿呆船』(企画制作:演劇実験室◎万有引力)が上演されるが、同施設2階の市民ギャラリーでは関連企画展示として、J・A・シィザー氏が監修した「わたしの演劇ノート展」が開催中だ。

『阿呆船』の演出・音楽・美術を手がける同氏の約40年におよぶ演劇活動を、多彩な個人コレクションと資料で振り返るという趣旨で、期間は17日まで(13日と14日は休館日)。時間は午前11時から午後5時で、入場は無料。
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2010年04月25日

寺山修司の葬儀は青山葬儀場で1983年5月9日に行われた。その時あなたはなにをしていましたか

「三時のあたな」で伝えた寺山修司の葬儀の模様



私は寺山修司が死んだことは知っていたが、こんな風に葬儀が行われたことは知らなかった、普通に高校に行って、学校祭りの準備委員会でギラギラしていた。
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2009年10月14日

かれこれ30年近く前の話



その昔、FM東京(今のTOKYO-FM)の土曜深夜、ビッグスペシャルという2時間番組があって、ひとつのアーティストを徹底的に特集する内容だった。4週でビリー・ジョエルを全曲かけるとか、そういう企画。
エアチェックという言葉がカッコよく、レンタルレコードもまだでてこなかった時代だから、そりゃ助かりました。
なにしろレコードを買う金もない厨房の私は、60分テープを沢山用意して、ラジカセの前で土曜の夜を過ごしたものである。
その合間に落ち着いた感じのCMが流れる。
なぜかそのCMのおじさんは自分の名前を名乗ってから話を始めた。
不思議な感じ。
それから1年半くらいたった14歳、私は寺山修司の本とめぐりあう。
そしてそれから1年半後、彼は亡くなった。
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2009年10月03日

へんりっく 寺山修司の弟

へんりっく 寺山修司の弟(公式サイト)

「ローラ」の動機について寺山修司はこう述べていた。
「今までスクリーンの中は禁じられた聖域として、観客と別の世界に生きていたわけであるが、ここでは観客がスクリーンの中へ入ったり出たり出来るのである。つまり、スクリーンの中が“手で触れられる世界”であることを実現してみせる映画ということで、いささか行為が立つものだった」

この映画の仕掛けはゴム製の特製スクリーン。まん中にに縦に切れ込みがいれてあって、ここを森崎偏陸がでたり入ったりする。

フィルムに写っているのは厚手のエンジ色のジャケットを着た森崎偏陸。永遠の姿である。
しかし現実はそうではない。真夏であっても、現実の森崎偏陸は暑苦しい格好をしなくてはならない。映画にあわせて演技をするのは生身の人間だから、汗もかくし、年も取る。
25歳の姿はいつみても変わらない。年を取るのは観客席からスクリーンへ導かれる本物の偏陸さん。還暦ちかい男。寺山の意図からはいつしか離れて、「ローラ」が上映されるたびにちょっとづつ変わっていく森崎偏陸という人物の奇妙な生き方を感じぜずにはいられなくなる。この映画は見るということは、偏陸を考えること、ということになってしまう。
25歳の自分と絡まなくてはいけない人。余人が変わることができない役目。
それどころか、実生活でも2度も寺山の弟になっているのである。そのことは寺山は知らないというのもまた面白いのだが。

人間は忘れることで、今を生きることができる。忘れてしまうと同時に、ありもしなかった記憶を作って、それを糧に生きることもある。その自由を制限されるとどんな感じがするのか想像もつかない。9分程度の作品なのだが、これを30年以上繰り返すしていると、あの特製スクリーンを行ったり来たりしているあいだに、自分の存在があいまいになりはしないのだろうか。

この「へんりっく 寺山修司の弟」という映画のなかで、へんりっくさんの頭の中が少しでも見えることを期待してしまう。
寺山宇宙の面白さ、へんりっくさんみたいな不思議な星座があることだ。しかし肝心の寺山さんは星座物語の作者で、星にはなっていない。星にされちゃった人は、永遠に空をぐるぐる回るのである。

■上映スケジュール

2009年10月10日(土) 20:50〜

シアター・イメージフォーラム渋谷にてレイトショー

初日の舞台挨拶
10/10(土)上映前

ゲスト
森崎偏陸(寺山偏陸)
石川淳志監督
ペーソス(歌手デュオ)
特別ゲスト
末井昭 氏(白夜書房編集局長)

10/16(金)上映前

ゲスト
宇野亜喜良 氏

森崎偏陸(寺山偏陸)
石川淳志監督


2009年 秋

第七藝術劇場(大阪)

時期未定

名古屋シネマテーク(名古屋)
シアターキノ(札幌)

順次全国ロードショー

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2009年09月14日

9.11の山本夏彦

9.11のテロの時、私はテレビにくぎ付けだった。
CNNでは日本時間の11日夜10時ごろから長時間、中継していた。
日付が変わるころ、タワーの一つが崩壊した。恐ろしい光景だった。
そしてほどなく、もう一つも。
その間に、周りのビルも崩壊していた。
もうなんだか無茶苦茶だった。
ペンタゴンも突入された。でも不思議な風景だった。飛行機がなかった。
映像が入り乱れ、見続けることにつかれた。植えつけられたのは、恐怖とあきらめ、悲しい気持ち。

ところがこの光景をみてショックを受けている人に対して、全くその感情を受け入れずはねつけた人物がいた。
山本夏彦は「ざまみろ、いい気味だ。」と言ったとどこかの本に書いてあった。アメリカが日本を破壊したことへの恨みを忘れてないということか。アメリカの傲慢さへの報いとしてイスラム側の気持ちを代言したわけではなさそうなので、アメリカの無差別爆撃への怒りが50年たっても鎮まるどころか、再点火したのかもしれない。

理由は長くなるので省略するが、私は「ざまみろ」の話を読んでかなり反省した。ボクらは、例えば広島の原爆の意味は「大量殺りく」でしかないと思っている。しかしアメリカはそうは思っていない。あれは英雄的な行為である。仕方がなかった、とすら思っていない人間が大勢いる。「パールハーバーの報い」なのだから当然だと。
「ざまみろ」はその論法に沿ったものだ。
事実、アメリカはその後、アフガン、イラクに戦争を仕掛けた。沢山の戦果にアメリカ人は言うだろう「ざまみろ」と。

寺山修司の詩が口をつく。

アメリカよ

小雨けむる俺の安アパートの壁に貼られた一枚の地図よ
そしてその地図の中のケンタッキー州ルイスビルに消えて行った
二年前の俺のぬけがら
チャーリー・パーカーのレコードの古傷を撫でる後悔と
侮蔑の英文科二年生秋本昇一の
二十年間の醒めない悪夢よ
そしてまた 
二度と帰還することのないB29 
草の葉の 
第二次世界大戦のアレックスやヘンリーやトーマスよ
死んでしまったのだ 
ジェームス・ディーンの机のひき出しに 
今も忘れられている模型飛行機のカタログよ
歌うな数えよ 数だけが政治化されるのだ 
プエルトリカンの洗濯干場の十万の汚れたシーツよ
時代なんかじゃなかった 飛べば空なのだ 
すっぱりと涙よ 
アメリカにも空があって 
エンパイヤーステートビルから 
俺の心臓まで 
死よりも重いオモリを突き刺す 
パンアメリカン航空のカレンダーよ
キリーロフは見捨て 圭子はあこがれる 
ジャック・アン ド・ベティのマイホーム 
ニューギニアの海戦で俺の親父を殺したアメリカよ
コカコーラはビル街を大洪水にたたきこむカーク・ダグラスの顎の割れ目のアメリカ 
マルクス兄弟の母国のアメリカ 
ホットドッグにはさまれたソーセージが唸り立つ勃起のアメリカ
老人ホームの犬は芸当が得意な、おさらばのアメリカよ
大列車強盗ジェシー・ジェームズのアメリカ 
できるならばそのおさねを舐めてみたいナタリー・ウッドのアメリカ
カシアス・クレイことモハメッド・アリがキャディラックにのって詩を書くアメリカ 
百万人の唖たちの「心の旅路」のアメリカ 
そしてヴェトナムでは虐殺のアメリカよ
見えるか スタッティアイランド 
あこがれの摩天楼を遠望しながら 
二人ぼっちで棒つきのキャンディをしゃぶったジェーンとその兄のアメリカよ
おかまのジェームス・ボールドウインはなぜ白人としか寝ないのだアメリカ 
LSD5ドルで天国のアメリカ
マンホール工事は墓堀仕事のニックの孤独なアメリカよ  
ホーン・アンド・ハーダーで15セントのコーヒーばかり啜るユダヤ人のワイデルベルクはいつ母親を売とばすのか
そしてアーチ・シップは眼帯をかけて叩まくる半分のアメリカよ
今日もまたハリウッドの邸宅のプールで泳ぐ老女優ベティ・デヴィスの最後のメンスよ 星条旗よ永遠なれ  
アメリカよ アメリカよ それはあまりにも近くて遠い 政治化 ラッキーストライクの日の丸を撃つために 駅馬車は旅立つ カマンナ・マイ・ハウスのアメリカよ  
地図にありながら 幻のアメリカ 
遥かなる大西部の家なき子 それは過去だ 
あらゆるユートピアはいかり肩で立ちあがる 
鷹がくわえた死の翳のアメリカ

醒めるのだ 歌いながら 今すぐにアメリカよ!
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2009年05月28日

「涙を馬のたてがみに、心は遠い草原に」

涙を馬のたてがみに、心は遠い草原に

寺山修司がサローヤンの言葉として紹介したこの言葉になにかロマンを感じる人は、たぶん予想上手の馬券下手の人ではないでしょうか。

寺山修司はサローヤンの言葉をよく引用しました。
私はサローヤンについてそれほど知識がなく、ましてや原文をあたることはありませんでした。
今でもこの言葉の原文を知りたいと思いつつ、わかっていません。
寺山修司の残していった文章の中には、このサローヤンからの引用が実にうまく使われています。
例えば吉永正人について、『競馬への望郷 吉永正人』の中にはこんなふうに。

「男の目的とは何か? 不滅なものの秘密は何か? 男は不死でありうるか? もしも男が不死であるとすれば、それは一体、誰を喜ばせるのだろう? たかが不死であることが、何だというのだ」吉永の胸ポケットの定期入れには、いまも死んだ妻の写真が一枚入っている。

吉永という悲しい騎手が、なにを背負って馬群を離れて進むのか、その哀切を簡潔にスパッと私の心に刻み込んできます。


吉永正人は寺山修司のことをインタビューされて、ぽつりぽつり話していました。「先生(寺山のこと)が競馬にはロマンがあるとか言ってくれたので、競馬をそういうふうに見る人が増えた。自分のことをひいきにしてくれて、応援してくれたのはありがたかった。よく競馬場にもきてくれて。シービーがダービーを勝つなんて書いてくれて、それを見てもらうことなく亡くなったんで、残念でした」そんなことをうつむき加減で話していました。

ミスターシービーでダービーをとった吉永は、所属きゅう舎でデビューすることになったダイナガリバーにのせてもらえませんでした。ミスターシービーの騎乗方法に疑問をもった調教師との確執が原因だったと言われています。他厩舎所属の増沢がのったダイナガリバーはダービー馬となりました。それから少しして、吉永は騎手を引退し、調教師になりました。
その吉永さんもすでに亡くなってしまっています。

毎年のことですが、ダービーが近くなると思い出すのです。




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2009年05月21日

寺山修司27回忌の企画――映画・ポスターで業績回顧

「寺山修司と天井棧敷◎ポスター展 」NEW
―演劇実験室◎天井棧敷の宣伝美術の全貌―


日時/2009年5月23日(土)→6月6日(土)OPEN 12:00-20:00※日曜休館。最終日6/6(土)は、17:00まで。
料金/無料
主催/大阪造形センター、ポスターハリス・カンパニー、
テラヤマ・ワールド、人力飛行機舎、シネ・ヌーヴォ
場所/大阪造形センターギャラリー

【寺山修司◎映像詩展2009】

―映像の魔術師・寺山修司のシュールでアヴァンギャルドな映像作品一挙上映―
会期/5月23日(土)→6月12日(金)
会場/シネ・ヌーヴォ
地下鉄中央線「九条駅」6号出口徒歩3分、 阪神なんば線「九条駅」2番出口徒歩2分 大阪市西区九条1-20-24  Tel:06-6582-1416 

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2009年05月08日

粟津潔氏死去

天井桟敷館のデザインや歌集「田園に死す」の装丁などで寺山修司とつながりの深かった粟津潔氏が4月28日、肺炎のため川崎市内の病院で亡くなりました。
「日本におけるグラフィック・デザインの礎を築き、常に同時代の世界を見晴らしながら、絵画、ポスター、版画、ブックデザイン、建築、音楽、映像、パフォーマンス、 演劇など多様な領域を縦横無尽に往来してきた奇才」であった粟津の膨大な仕事のなかで、寺山との交流はどのようなものだったのでしょう?


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2009年04月28日

私はあなたの病気です。

「私はあなたの病気です。」寺山修司さんはどこかで書いていた。
私はその病気を自覚して30年近くたつ。
「時間って誰もが縦軸だと考えているけど、そうではなくて横軸なんだよね。」この病は世界への視座が90度の移転する。
「もはや実と虚を二元的に分類することはできない。」存在論でもなく実在論でもなくなり、リアルなことに意味はなくなる。
田中未知さんが言うように「寺山はひとつの鏡だったのだ。「鏡体人間」と言ってもいい。」
「私が言葉を創るのか、言葉が私を創るのか、私には知ることができない」この思いを行き来しながら、人との出会いを繰り返してゆく運動、それこそが寺山修司という現象だったようにも思える。

「寺山修司は特定の思想を中心につくられた人間ではなかった。彼は自己の存在を世界の存在と合致させようと努めたのだが、自己も世界も逆説に満ちていたのである。逆説の中心には言語があった。だから(中略)、寺山は言語の完成という不可能性への途上にある言葉の集合体のなかにあるだけなのだ」という田中未知さんの指摘は寺山修司という人物のありようを端的に言い当てていると思う。

世界の存在が不安定に見えてしまえば、自己の影が自分に話しかけてくることがあっても不思議ではない。言葉で成り立っている世界なら、言葉で壊すことも可能であろう。

「私は一日に、かぎりない別々の寺山に会い、同時にその一人一人の個性に圧倒されてきた。」(田中未知)
そこまではいかないが、寺山修司さんが残した膨大な著作の作品ひとつひとつで私も別々の寺山修司に出会い、圧倒され別れてきた。

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