今回の訃報に際していろんな人がいろんなことを言っているのを新聞で読んだが、その中に「ひばり、裕次郎が去って、植木が最後の昭和だった」という旨のコメントがあった。でもその昭和は植木自身ではない。植木がやっていた無責任男、あるいは「日本一の○○男」である。これらの映画の主人公はあの時代を象徴しことは確かだ。でもあれは植木にとっては虚構であって、極論すれば植木とは関係のない人物である。
そんな思いがずっとあったように思う。ひばりも裕次郎も、存命中はもちろんその死後も周囲はそのイメージが風化しないように、歴史にならないように、繰り返し歌を歌い、映画やイベントをやった。忘れて欲しくないあのころのひばり、裕次郎のすごさを伝えようとしている。
しかし植木はもちろん、クレージーの面々はそれをしない。それどころか「あんな時代もあったんだけど、今は悠悠自適だね」と、あのころの自分と今の自分を明確に区別している。
スーダラ節を渡されて、こんな歌うたっていいものか考えあぐねた植木さんは浄土真宗の僧である父上に相談する。このあたりがすでにあの時代とてへんだと思うだが、これを父上が「親鸞に通ずるところがある」とスーダラ節を評したため歌うことにしたという。あれは青島幸男と萩原哲晶と植木さんの一人でもかければできなかった曲だが、これでみんな天国にいってしまった。宮川泰も昨年旅立っている。渡辺晋とわいわいがやがややっているのだろうか。
ハナさんがなくなったタイミングで、植木さんは勲章をもらっていた。あの時「これでクレージーは解散だな」って言っていたような気がする。そのあとすぐに安田紳さんが亡くなって。安田さんは芸大でていたような話を聞いたような気がする。
「日本の喜劇人」という小林信彦の本に、植木さんとハナさんがクレージーを作って、渡辺晋がどんどん売っいった当時の様子が詳しくかかれている。また青島幸男もクレージーとの仕事について書いている一冊がある。これらを読み返してまたうだうだ書きたいと思う。


