2013年07月21日

いやいや、沈む国を愛すのか

2011年、地震で大変な目にあって、関東に住む僕の周りはみんな考えたはずだ。これまで通りではいけない。
少なくとも東日本の人はそう思うことに不自然さはなかったと思う。西の人はどれだけそう思ったかは知らない。神戸の地震の時に東の僕がどうだったかを振り返ってみることができた。やはり想像力など大したことない。恐ろしい目にあった人間としか共有できない類のものであろう。あの時の自分は甘かった、そして今回、西の人がどれだけ「これまでの通りではいけない」と思ったかどうかを疑う。これも不思議なことではない。放射能の恐怖などはわからないだろう。
西の人は仕方がない、でも東も大したことはなかった。「これまで通りではいけない」具体的には原子力依存、そして地震の前から続く経済規模の拡大信仰への疑問、世界の中で日本、それらの自明の枠組みを容赦なく考え直さないと私たちの命が危ない、そういう空気は確かにあった。でもすぐに消えた。それでわかったのである。こういうものかと。
いろいろひどい目にあって、そのたび復興して、それが日本の強さだから団結してがんばろう。歴史的にはそうなのだが、そこが歴史の甘いところだ。一面しか、ほんの一面しか後世に伝えられないのだ。残念がらそれを体感し思い知った。地震や戦災、国土が荒廃し多くの人命が失われたことは何度もある。しかしそのたび乗り越えてきた、そんな話は本当でもなく嘘でもない。確かに壊れたところが修復され、震災の悲惨さを思い出すような風景はなくなってきた。それはいいことだろう。でもそれだけだった、ってことでも良いのだろうか?
ドイツのジャーナリストが今回の参院選挙について述べていた中で「日本は震災によって大きく変わるチャンスを生かせなかった」と指摘していたが、その言葉については同感である。同じではないのだが、前からあった流れの一つにのったのだ。新しい流れは作れなかったのだが、その兆しはあっただけにより悲しむべき現象であった。
超高齢化、産業構造改革の端緒にもつけず、有無を言わさずアメリカの経済圏に飲み込まれてゆくのなら、沈むしかない国である。原子力を継続することがこの国のなにを守り、それとともに滅ぶという覚悟でもあるのなら最敬礼だが、結局場当たり的なその日暮らしである。その日暮らしなどは、アベくんにでもやらせておけ、という奥の院があるようなないような・・・
そして本日、自民党が参院選挙で圧勝である。アベノミクスへの評価などということで積極的に投票した人がどれだけいるのだろうか。まったく実感がないのだが、実感があるのはあれだけの災厄にあってなお、やはりまだ変わらなかったという失望である。どうやったら変わるのか、という難問が解決できない失望である。
維新がそれほど伸びず、共産党がある程度の受け皿に、なんだろうが、枠組みが変わらないのである。安倍氏がかついて、なにをさしたのか「戦後レジームからの脱却」と唱えていたが、こんなんでそれが成り立つのであろうか?改憲して税金をあげても何にも変わらないと断言できる。
ただだた、明日もその先も、我が祖国を守れなら自分からはじめなければ、というそのことだけが暗澹と続くことにやや呆れつつある。
posted by ガレージランド at 22:09| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ 映画 芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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