2009年01月13日

これを見ずしてハリウッド映画を語るなかれ

2008年の年間興行成績第一位の邦画は言うまでもない「ポニョ」である。2位は「花男」。洋画の一位は日本では第三位の「インディジョーンズ クリスタルスカル」。
そのインディーは全米ではシリーズ最高の成績でも日本と同じ三位。
全米で二位は「アイアンマン」で3億ドル、そしてダントツの一位は「バットマン ダークナイト」でなんと5憶ドル。
けた外れの大ヒットでも「バットマン ダークナイト」は日本ではそれほどでなかった。10以内にも入っていない。
いつもそうだから今さらなんだが、バットマンとかそういうアメリカンヒーローものって、スーパーマンくらいしか日本人にはなじめかなったな。たぶんこの先もそうなんだろう。


片手間で見てしまったのだが、アメリカ人が見て満足するのもわかるような気がした。
とにかく、話が単純のようで単純でなく、かといって複雑でもない。
だから見ていて疲れるわけでもないのだが、妙に正義と悪というものに考えさせられたような気持になる。
ジョーカーがかカーツ大佐に見えた。ジョーカーの頭はいつもすごくクリアで、恐怖を感じる部分が失われている。バットマンもそうなんだが、「地獄の黙示録」でカーツがウイラードに詩でも読むように「恐怖」について語るシーンを思い起こさせた。
暴力による恐怖を克服できれば、人間は自由になる。それは同時に生命保持という本能の動きを封じ込めることであろう。それは狂気とも言われるが、研ぎ澄まされた理性と技術でも可能になるのかもしれない。そんなことを思わせるような限りない暴力と破壊、人間の良心への挑戦が過激に追及されていて、苦悩するバットマンよりもジョーカーこそがこの映画の主役だろう。
深読みしすぎだろうが、なんとなくアメリカ人ってもしかしてちょっと暗くなって、迷っている最中なのかとも思った。この記録的な大ヒット映画には能天気な正義はない。ヒーローはすばらい活躍をし、それを称える大勢の人が拍手喝采、というわけではない。困難を克服し正義を実現するヒーローにカタルシスを覚え、高揚した気分で映画館をでる、というものではないのだ。
自分ならどうする、という難問がいくつか残るのではないだろうか。ジョーカーはフィクションだが、ジョーカーがなげつけてくる挑戦は、なにが正義かという確信を揺るがす現実的な難問だ。
誰かが死ななければ大勢の犠牲者がでる、相手を殺さなければこちらが殺される、それだけの理屈で誰だかもよくわからない人間を殺せるのか。不条理な死を押しつけて、自分は生き残る、あるいは恨みを晴らす、それは果たしてまともなことなのか。
人間のもっている暗い部分、それは悪事を企む者にたやすく利用されやすく、うつろいやすい。それに自覚的な心理状態なのかもしれない、アメリカ国民は。正義はなにかということを考えるより、悪とはなにかを想像するほうがリアリティがあるということが、この映画が広く観客をひきつけたとするなら、この映画はきわめてよく考え抜かれて作られたと言わなくてはいけない。
ジョーカーは言う「陰謀を考えるやつらやほかにいる、俺はイヌだ、放たれれば追いかけるだけだ」なにかを暗示しているように思える。

確かに爆破シーンの迫力はものすごくて、油と爆薬の使用料も記録的だと思うし、路上の戦闘シーンもよく撮れている。CGの使用比率が少くないのか、見やすかったのだが、それだけでヒットしたのでないような気がしてならない。
posted by ガレージランド at 04:28| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | こねた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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