2014年01月04日

ロック至上史観からの転向 大滝詠一の死去に直面して考えたこと

去年ルー・リードが死去し
青山純が亡くなり
12月30日に大滝詠一が解離性動脈りゅうで死去した。(リンゴをのどにつまらせたわけではなかったようだが、そんなことがどうてもよくて、むしろ「リンゴ」のほうが氏らしいかもしれない。いやでもそれは、もっと老衰してからだろうけど)
他にもいろいろ亡くなった。
ジム・ホール、フィル・ラモーン、島倉千代子、山口富士夫、それから天野祐吉、戸井十月、大島渚、大鵬、常盤新平、安岡章太郎、岩谷時子、、、、、、、

何かしらを語ろうとする時に僕は歴史を語る癖がある。ややこしくて面倒な話になるので、当然、話は長くなり最後まで聞かない人がでるのは無理もなく、特に気にしていない。音楽の話でも映画の話でも、ビジネスでも、数学の話でも、結局歴史みたいな話を系統的に多次元になるから、疲れるよね。
ずっと前からそうなのだ。高校生のころからずっとそう。
ハードロック、パンクロック、プログレッシブロック、ヘビイメタル、デスメタル、スラッシュメタル、LAメタル、ネオアコ、ニューロマンティックもともろ、まあどうでもいいのですが、こういうのがロック至上主義の歴史観から導かれる詳細分析なのだが、今となってはどうでもいい。
それらを個別で深く追求し、悦に入ることはそれで良い。
私はそうでないので、聴いて楽しむということとは別に、年代にならべ、なにかしらの関連付けをおこなうことを楽しいと感じる。
ただ自分ひとりでやると結構大変なので、こういうのが役に立つ。

posted by ガレージランド at 18:14| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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