2009年07月09日

キングの死

キング・オブ・ロックンロールの死に続き、キング・オブ・ポップも突然に天国に召された。

俺的にはマイケルジャクソンは「ビリー・ジーン」は良いが、他はそれほどではない。

確かに「スリラー」のビデオインパクトがあって、あの時代を思い出す時に欠かせない。このビデオの後に作られたビデオの多くがどこかこのビデオを意識していたようにも思える。まるで映画の1シーンであるかような、大がかりで手の込んだものばかりになった、と言われるが、実は良く考えればそうでもない。
MTVのアワードであのころの受賞作品は、カーズ、ドン・ヘンリー、ダイア・ストレイツ、ピーター・ガブリエルとか、あまり人が派手に動きまくるものではない、INXSに至ってはアイデアが勝ったシンプルなものだった。スリラーはビデオオブザイヤーをカーズに譲った。しかしビューワーアワードは取っている。
そういえば、89年にビデオオブザイヤーをとったニールヤングのビデオは、そのころビデオ撮影中に髪の毛がこげるという、マイケル・ジャクソンを皮肉ったカットがあった。

しばらく前、「マイケルの真実」という、本人を交えた暴露番組があった。この番組の日本での放送の時、CXで司会を務めたのは小倉だった。だから今回の追悼緊急特別番組も小倉というのは、ある意味流れがあったのだが、ヤフーのコメントでは否定されていた。「どうして小倉なわけ」というコメントの実に対し、ビュワーの95%が「そう思う」に投票していた。
その「真実」のなかで、マイケル・ジャクソンは「ビリー・ジーン」を作った時のことを語っていた。自宅の庭(ネバーランド?)の木の下に座っていたら、天からお告げがあったみたいに頭のなかであのリフが思い浮かんだ、というようなことだった。
名曲とはそんなもんなんだよな、苦しんで名曲作ったのはブラームスくらいなのだ、とその時も思ったのであった。意外だったのは、彼自身、ビリージーンには特別な感情があったらしく、とても不思議な体験だった、みたいな感想を述べていたのが印象的であった。
意地悪く考えれば、それ以外はそれほどでもということか。実際、そう思ってしまうのだが。

とにかくスリラーは曲はそれほどでもないが、踊ってみると面白い。
俺的には大学ボクシング部で、先輩に命令されて、よく踊らされたものだ。下級生15名がトレーニングよりもダンスさせられた時期があった、そしてそれは毎年、卒業生を送るダンスとなったのであった。
posted by ガレージランド at 15:33| 東京 不明| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月08日

みっちゃんが辞めるってことは、ノアは大変だ。

プロレスリングノアの新体制は、田上が社長で、小橋とフジマルが副社長で、ドラゴンとみっちゃん、小川が取締役からはずれ相談役に。
田上の社長就任とフジマルの副社長就任は三沢夫人の希望だったという。その三沢夫人はノアの株の半分以上を保有しているというのが本当なら、オーナーの意向にそった経営陣の刷新である。
オーナー社長が亡くなって、社長夫人がその後を決める、って、そりゃあれだよな、あれだ。
なんだか危ない感じがする。
俺の後は田上、そしてフジマル、って三沢と話していたのかは、どこか信憑性に欠ける。まあ、田上って話していたとして、ドラゴン、みっちゃん、小川、ラーメン屋が相談役になるのも三沢の遺志?
みっちゃんはともかく、ドラゴンとラーメン屋を経営に残しておかないことは疑問だ。今度の役員たちにこの二人以上の商売の才覚があるとは思えない。不思議だが、これでまとまるのだろうか。
なにより、三沢夫人がでてきたことがキナくさい。株主だから、と本当に本人が言い出したのか、それとも田上を担ぐ勢力の根回しか。

そんなこと考えていたら、みっちゃんの退団騒動だ。

もともと日テレをバックに、三沢と仲野龍が仕立てた脱走劇が、分裂にまで発展して設立された「ノア」。百田光雄がノアに行ったのは「ノア」の正当性を担保したものであった。
力道山家の威光がどれほどのものであるかを今さら言っても仕方がないのかもしれないが、あの時はみっちゃんが三沢と組んだことで、ノアは官軍になることができた。レスラーも社員も全日本に残る理由がなくなった、渕と川田以外は。俺的にはそう見ている。
無口だが男気のある三沢、実務能力のある仲野、そして現場を仕切れ百田がそろったからみんなついていった。この3人を見送るのと、ついていくのとどちらが安心かということだったのではないかと思う。

「小橋社長の提案が通らなかったらか辞める」と報道されている。
常識的に無理だ、小橋が引退して社長に専念するなら別だが、それで興業が成り立つ陣容ではない。小橋副社長というのはぎりぎりの線だ。
みっちゃんの言うことに合理性がない現状では、個人的な感情のもつれとしかみれないが、60にもなり引退興行を口にしている選手の行動としては理解しにくく、もっと重大な理由があると推察するのは無理がないところだ。

これがノアのなかでなにかが進行している端緒なのか、今後に不安が残る。歴史の必然なのか?9年前を思いださせるのである。
posted by ガレージランド at 15:45| 東京 不明| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

中村富十郎親子の野望

NHKで「中村富十郎 復活勧進帳」(確かそんなタイトル)を見た。79歳の父と10歳の子の共演をドキュメントした。
父が弁慶、子が義経で、富十郎の自主興行である。
この番組を通していろんなことを思ったのだ。
歌舞伎の面白さ、とか、遺伝子の強さ、とか、芸ごとのすさまじさ、とか、やっぱり選ばれし者ってのがいて特別な才能と体力を持った人が伝統を作る、とか。

50代の富十郎の弁慶の演技を、親子がビデオで見入るシーンがある。富樫に酒の礼として弁慶が舞を披露する、というシーンなのだが、この舞の軽やかで洒落ていること、こんなのは見たことないって感じだった。なにしろ私は富十郎が富樫をやった勧進帳した見たことない。三島由紀夫とか山本周五郎の話にしか聞いたことがなかったが、圧倒される歌舞伎であった。

なーんてエラそうなことを書いてしまった。
しかし伝わってくるものがものすごかった。ロックと演劇とか暴動とか形をいかにぶっ壊して自由にやるかってところがポイントで、保守的にやっていたらつまらない。だからいくとこまでいくと、コムズカシイ感じに理屈をつけて、こっちはこうだから良くて、こっちはこうだから悪い、みたいなことを言うか、すでにどっかでやられてしまったスタイルリメイクしてちょっとだけ新しくして出してみるとかする。つまり、どこか違うなにかを予感させたり、理屈で納得させたりして、動員できればいいということになる。
えーと、しゃちこばった言い換えをすると、「外に広く、内に浅い」

自分もまだよくわかっていないが、歌舞伎には「外は広く、内に深い」ものを感じる。

富樫に中村吉右衛門、染五郎や松禄もでていた。

膝が悪く、階段を付き人の手を借りながら一段一段上り下りする老人の体が、舞台に立つと威風堂々、ものすごいオーラを発して、頭のてっぺんから指先まで見事にある意志に貫かれて、しなやかに動く。
人間の生命力に、芸への執念がプラスされると、見たこともないものを見せてくれるのだ。
長男が20歳になったら、富十郎の名跡を襲名させることを公言しているそうである。富十郎はその時に89歳になるわけだが、楽しみなことだ。
posted by ガレージランド at 14:34| 東京 不明| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ 映画 芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月05日

DOLLが休刊 会社は解散

DOLLが休刊するそうだ、というか廃刊でいいのだろう、なにしろ会社そのものが解散するのだから。今出ている号で最後だそうだ。

ずいぶん買ったな、ドール、一番最初に買ったのは85年ごろかな、インディーブームが盛り上がってきたころで、宝島は例のカセットブックをだしていたころだ。記事読むより、広告ばっかり見ていたな、オールディーズ、UKエジソンとかのディスクリストとか、AAとかのインディーズ通販とか、白黒で10センチくらいのスペースから発信されてくる情報は刺激的だった。
飢餓感がものすごかったから、ね。

あれから四半世紀近くだが、ZOOから数えると30年の歴史をもつ老舗雑誌としてはあっけない終わり方だ。
編集後記を読むと、デジタルメディアにおされて、いわゆる活字メディアから人も金も離れていってしまったことが今回の事態の大きな要因だと言うことらしい。
そのあたりの事情はやはり出版業界の限界なのか。
でもパンクだったら超えてみてほしかったな、そういうのに。


posted by ガレージランド at 02:03| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月04日

三沢がくらったバックドロップの写真

たまたまマンガ喫茶に入ったので、週プロをまとめて読んだ。
斉藤が三沢を投げたバックドロップの連続写真が掲載されていた。
ほぼ即死だったわけだから、三沢の後頭部がマットに叩き付けられた瞬間が、「その時」である。その瞬間の写真をみてしまった。
斉藤のバックドロップはすこし崩れていた。というか、こうやってひねるというか、投げっぱなしみたいな感じするのかな。よくわからないが、三沢の受け身は明らかに中途半端でアゴを十分に引いていないから脳天から落ちる感じだ。肩が回転していないから余計にクビに荷重される結果となった。
受けた後の三沢の体は無惨にくの字に曲がっている。不自然な格好だ。ケツが天井を向いたまま。ぐったりしている。
これが事実だろう。
しかし三沢がなぜ、という答えにはなっていない。

前田が三沢について語っている。(前田日明から見た「三沢光晴の死、そしてプロレスの未来」(前編))意外だったが、その話は興味深い。
三沢から距離があった人間で、プロレス自体を批判的に見ている人間が今回の件をどうみたか。それだけに重みが他と少し重みが違うような気がした。

前田によれば「その前にコーナーから投げ捨てられて、フラフラし始めたっていうんだけど、悲劇だったのはね、相手も、レフェリーも、セコンドも、みんなが『社長だから大丈夫だろう』『三沢だから大丈夫だろう』と思って、誰も注意して見てやれなかった。プロレスでは"セール"って言うんだけど、演技でするフラフラと、本当に効いているのと、ちゃんと見てれば分かるはずなんだけどね。それでも、頸髄(けいずい)離断っていうのは異常だよ。」となる。
異常、という言葉を使っている。前田にもやりきれない思いがあるのだ。セールって言葉も使って説明しているが、そういう事情をわかっているだけに、それは一般人とは違うのは当然だ。不運な事故ではなく、防げた事故、そういうことなのか。いやそれはタブーではないのか。確かにその検証は不可欠だが、関係者にはダメージになるような気がする。しかしそこをきっちりできるのは、前田なのかもしれない。

それに比べて内館牧子氏と門馬忠雄氏の対談。ナンバーにちょっとだけ載っていた。なんと対照的であろう。
内館氏が「カウント2.9」の美学を語れば。門馬氏はプロレス大賞のMVPをとらせなかったことを悔やんでいた。
posted by ガレージランド at 00:25| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月02日

復刊 「愛しあってるかい」

実際に本屋にならんでいるのを、手にとって確認したが、冒頭のカラーグラビアは版下がないからなのか、言わば保存されている本からのカラーコピーであった。カラー以外のページ古本をみているような感じで、活字の感じやレイアウトが80年代前半、そう、月刊宝島の雰囲気。
巻末のディスコグラフィは今回まとめられたもので、ちょっとレココレ風。「RCと清志郎のベストはたくさんでたが、どれも完璧なものはない」とコラムにあったが、本当のそう、どれもなにかが欠けている。
posted by ガレージランド at 18:19| 東京 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月28日

たそがれ清兵衛

山田洋次のエラいのは、寅さんを撮ったことではなく、この映画を撮ったことだろう。
この後、時代劇を2つ撮るが、これが一番良い。
真田広之宮沢りえも大根なんで、清兵衛が帰ってきて朋江の手を取るシーンがなんかぎこちないんだが、あれはあれでちゃんと味になるからな、良い映画にでられる役者は仕合せだ。
posted by ガレージランド at 00:31| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ 映画 芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月27日

清志郎の自転車 独立、自由、そして連帯

ロック独立する」というタイトルの清志郎の語りが雑誌「本人」に掲載されている。初見だが、面白くて一気に立ち読みした。
いろいろ清志郎がロックジビネス批判を繰り広げているのだが、その始まりは「君が代」騒動と自分の事務所の前の社長のことだった。そこから一気に広がっていって。。。
清志郎のこのビジネスでサバイバルしてきたからこそ感じられる凄み、鋭い批判、やはり清志郎がもっていた表現への意志はものすごい、これだけの情熱と気合いは時代を突き抜けている。「ロックビジネスなんて統計学が、何万枚売れたとかそんなことばかりだ」「ジョン レノンがイマジンを歌ってニュースになった、ジョニー ロットンが歌ってなんだかんだと騒がれた、それがロックだ、それなのに統計学ばかりやっている連中がのさばっている」「歌が話題にならなくてはいけないのに、どれだけ売り上げたとか枚数とか、そんなのロックじゃない」「歌ってはいけないことなんかないんだ」いや、もうこの語りだけで「詩」だ。たぶん正確でなくて、かなり俺流の脚色が入っているが、ロックなんてそんなものだ、誤解であってもいい、何かを表現したいというやむことがない情熱に触れた時の驚き、そしてそこから始まる衝動、それが感電するみたいにスパークして人に伝わり黒こげにしてゆく、その後の馬鹿笑い、それがロックだ、キースリチャーズが言った印象的な言葉「俺は棺桶に片足をつっこんで随分たつが、もし死んでもロックの偉大な創造者であった、みたいなことは言って欲しくないな、俺は伝えたんだよ、だから「しっかり伝えた」って言って死にたい」
清志郎は伝えたかったんだと思う、自由と独立、そして連帯を。
「自転車も一人でやっていたらすぐやめていたと思う」「みんなで走るから、もう心臓がもたないと思うくらいの坂も登るし、死にそうになりながら走ることができる」「みんなそれぞれ独立しているけど、みんながいるから続けられる」「音楽もひとりだったら「ぶれいくしたからここらでいいか」ってことになったかもしれない、でもバンドだったからどんどんいけた」「自転車やっているのはそういう感じが、バンドの時と似ているからだと思う」
かなりうろ覚えだが、なんか俺、この最後の部分のこの話にものすごく感動したんだ。俺は清志郎からまた伝えられた、とてもうれしい気がした。
posted by ガレージランド at 02:03| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月25日

復刊 「愛しあってるかい」

あの不朽の名作「愛しあってるかい」が増補して復刊らしい

宝島のHPでの公式掲載はないが。
しかし四半世紀も前の本なんだな・・・・
リンコさんがキノコの研究をしている写真が忘れられません。

posted by ガレージランド at 16:39| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

白い春 終わる

やはりああいう終わりしかなかった。
春男の人生はいったいなんだったんだろう、せつないな。
最後の最後に小さいながら人の温かみのある輪に入れたのに。。。。
でもこのドラマ、はじまった時からこんな終わり方だろうということは端端に予感できた。
実の娘に触れてはいけないというジレンマに苦しむことなく、それを受け入れていたのである。春男は消えるか、パン屋の店員としてずっと働くしかなかったのだ。
だったら、パン屋でもよかったのだが、それではドラマが終わらないから。
でも春男を殺させずに終われた方がもっと感動的でよかったのではないかと思う。
もうちょっとがんばって、深みをもたせてほしかった。
なにしろさちの心臓手術が最終回の前の回、退院後、いきなり元気だし、リアリティまったくなし。
エンケンもよかったし、もっと丁寧に話を組み立てれば良いドラマになったと思う。残念。
posted by ガレージランド at 16:23| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ 映画 芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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