2017年03月14日

てててらやまにゅーす 映画『あしたはどっちだ、寺山修司』

寺山修司の実像に迫る映画『あしたはどっちだ、寺山修司』公開に向けてクラウドファンディング開始

クラウドファンディングの詳細は下記URL
https://motion-gallery.net/projects/terayama

寺山さんが亡くなったのは1983年、47歳のとき。
「墓など建てて欲しくない、ただ私の言葉が残れば十分」とか詩の中に遺言を残していましたが、墓はもちろん、記念館もあるし、今度は映画。
もちろん本人がでていた映画ができたわけではないようで、証言によって寺山を蘇らせようという映画のようで、京武さんまでおでになられている。

個人的には劇団でともに活動していた方々の話よりも、寺山が前に進むために後ろに投げ飛ばしっていた者たちが、どんな思いで寺山をみていたのかに大変興味がある。勝者にはなにもやるな、である。寺山自身は敗者を愛したが、それは実生活においてどうだったのか?
自身どこか心の底で敗者であるように思っていた人なのでは、という印象を私は最初からいだいていた。その飢餓感があれだけの疾走を強いたのだ、その飢餓感が友人を後ろに投げ飛ばしてしまうことを許したのだ、と理解している。
わかる、と思うのである。
posted by ガレージランド at 17:32| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 寺山修司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月02日

て、て、てらやまニュース これから起こること

長編小説「あゝ、荒野」が映画化され、年内に公開予定
寺山修司記念館がある青森・三沢市で大掛かりな市街劇(8月)
舞台では、演劇実験室◎万有引力「身毒丸」(演出・音楽=J・A・シーザー、3月16〜19日、世田谷パブリックシアター)、青蛾館「中国の不思議な役人」(演出=松村武、3月17〜22日、東京芸術劇場シアターウエスト)若松武史、池田有希子、石井愃一らが出演。
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2014年01月04日

ロック至上史観からの転向 大滝詠一の死去に直面して考えたこと

去年ルー・リードが死去し
青山純が亡くなり
12月30日に大滝詠一が解離性動脈りゅうで死去した。(リンゴをのどにつまらせたわけではなかったようだが、そんなことがどうてもよくて、むしろ「リンゴ」のほうが氏らしいかもしれない。いやでもそれは、もっと老衰してからだろうけど)
他にもいろいろ亡くなった。
ジム・ホール、フィル・ラモーン、島倉千代子、山口富士夫、それから天野祐吉、戸井十月、大島渚、大鵬、常盤新平、安岡章太郎、岩谷時子、、、、、、、

何かしらを語ろうとする時に僕は歴史を語る癖がある。ややこしくて面倒な話になるので、当然、話は長くなり最後まで聞かない人がでるのは無理もなく、特に気にしていない。音楽の話でも映画の話でも、ビジネスでも、数学の話でも、結局歴史みたいな話を系統的に多次元になるから、疲れるよね。
ずっと前からそうなのだ。高校生のころからずっとそう。
ハードロック、パンクロック、プログレッシブロック、ヘビイメタル、デスメタル、スラッシュメタル、LAメタル、ネオアコ、ニューロマンティックもともろ、まあどうでもいいのですが、こういうのがロック至上主義の歴史観から導かれる詳細分析なのだが、今となってはどうでもいい。
それらを個別で深く追求し、悦に入ることはそれで良い。
私はそうでないので、聴いて楽しむということとは別に、年代にならべ、なにかしらの関連付けをおこなうことを楽しいと感じる。
ただ自分ひとりでやると結構大変なので、こういうのが役に立つ。

posted by ガレージランド at 18:14| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月15日

「寺山修司幻想図書館 ~書を捨てよ、町へ出よう~」展(8/31まで)

「寺山修司幻想図書館 ~書を捨てよ、町へ出よう~」展(8/31まで)

会期:2013年8月8日(木)~8月31日(土)11時~20時 *尚、8月19日は全館休館
会場:EYE OF GYRE/GYRE 3F(東京都渋谷区神宮前5-10-1 TEL:03-3498-6990)

「寺山修司幻想図書館~書を捨てよ、町へ出よう~」展トークセッション
8月20日(火)午後6時30分~
「いま考える~書を捨てよ、町へ出よう~」
松田美由紀(女優)、田口ランディ(小説家) 司会:生駒芳子(アートダイナミクス代表)
posted by ガレージランド at 14:48| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月07日

ハービー・山口写真展 寺山修司と出会ったロンドン

寺山修司没後30年記念 寺山修司記念館企画展2013
ハービー・山口写真展 寺山修司と出会ったロンドン
8月1日(木)から11月24日(日)まで
会場 寺山修司記念館エキジビットホール
入場料 一般500円(常設展入館料含む)
お問い合わせ 三沢市寺山修司記念館 TEL.0176-59-3434
詳細はこちらから

「女王陛下のロンドン」という本のなかでも、山口氏は寺山修司の出会いについての記憶を自らが記録している。山口氏はTHE CLASHの写真でも印象的な画像を残している。

女王陛下のロンドン
posted by ガレージランド at 16:54| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 寺山修司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月24日

八重の桜 会津開城を見終えて

会津は逆賊なんかじゃねえ、
俺はそう思うので、逆賊呼ばわりした方がおかしいと断言する。

城山三郎の小説に広田弘毅のことを書いた「落日燃ゆ」という小説がある。
広田は「戦犯」として東京裁判で処刑を科せられた。その小説の中で、戦争に負けた時か訴追された時かどこかで「これで薩長の政府は終わる」とつぶやくシーンがある。
薩長の藩閥政治は明治から継続し、敗戦し国土は荒廃し多くの人命が失われた。

会津開城の回の中ではところどころに官軍の驕りが見せられた。
それを戒めた西郷は「死者に恥じることない新しい国をつくらなければ」みたいなことを言う。
明治という国家は良くて、昭和という国家は変質しだめになった、というのは司馬遼太郎を親玉として、多くの人が言っていることである。しかし私はそれを否定はしないまでも、もっとよくその内容を知るべきだと思う。明治国家がどこまで良かったかというとそれは偶然の産物でしかなく、根本は正義を語る資格がない一部の人間たちが始めたのである。

反対勢力を逆賊に仕立て、追い込んで破滅させて行く。正義などあるのだろうか?

会津は逆賊じゃねえ、相当なレベルで歴史の一般的な命題を表している言葉である。
まあ、綾瀬はるかが言うから、2割3割価値があるように見えてしまったのかもしれない。
会津は逆賊ではない、これは明らか。権力戦争であった。
それなのに靖国神社には会津の戦死者は祀られておらず、遺族の意思に反しても前述の文民の広田は祀られている。
私たちが祖国として誇るべきこの国がこんなことでいいのかと思う。

会津の苦しみはその後も延々と続くのである。
旧陸軍の機構のなかで、会津にあった第二師団はガダルカナルの前線をまかされ、悲劇はここでも起こるのである。
そして現在福島全体が、復興が迷走し、放射能汚染に苦しむ。わが祖国の福島に対する仕打ちは酷いと思う。
posted by ガレージランド at 13:28| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ 映画 芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月22日

やられたらやりかえす 倍返しだ!

半澤ナオキってドラマで、堺正人の決め言葉らしい。

へそ曲がりの私はこの手の銀行屋さんがかっこよく見えるドラマは徹底的に嫌いである。
そもそも銀行が嫌いなのだから。

利息なるものを取ることを認めてしまったこの世は悪魔との取引をしてしまったようなものだ。
資本主義というものはこの利息があってこそ。何でも保険に変えてしまい、貨幣がいつのまにか貨幣を生む、人間は働かないのに、という世界。
悪魔的である。

その昔、利息はとってはいけないものだったのだよ。
働いてこそ何ぼ、である。お金がお金を生むので、働かなくて済む、なんてことは罪なのだ。
悪魔的というのは、そのことが善となり、その制度機構が銀行である。
共産主義という理性の進化の理想の前に立ちはだかった資本主義はその悪魔的な銀行が止まらない心臓だ。
利息なんてものをつけて金を貸すから、利息よりも多く成長しないと破産するのだ。ここが膨張し続け、欲望に制限のかからない経済の元凶である。100万円借りて、100万円の収入を得る商売をやっていても破産なのだ。100万円プラス利息が銀行に返す金で、最低限これを得ないと話しにならない。
だから永久に経済は拡大しないといけない。経済の拡大が前提にないと銀行は不要である。
人間のもつ限りない欲望が資本主義を走らせていることに否定の余地はないが、それを仕組として支えているのは銀行である。
だから銀行なんてものは悪魔的で、人の生き血をすすって生きているものだ。

銀行屋がヒーローになるのは馬鹿馬鹿しく、そんな話はファンタジーだろう。
銀行屋にもファンタジーが必要だろうが、ファンタジーに金貸しは要らないのだ。
posted by ガレージランド at 16:05| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ 映画 芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月21日

いやいや、沈む国を愛すのか

2011年、地震で大変な目にあって、関東に住む僕の周りはみんな考えたはずだ。これまで通りではいけない。
少なくとも東日本の人はそう思うことに不自然さはなかったと思う。西の人はどれだけそう思ったかは知らない。神戸の地震の時に東の僕がどうだったかを振り返ってみることができた。やはり想像力など大したことない。恐ろしい目にあった人間としか共有できない類のものであろう。あの時の自分は甘かった、そして今回、西の人がどれだけ「これまでの通りではいけない」と思ったかどうかを疑う。これも不思議なことではない。放射能の恐怖などはわからないだろう。
西の人は仕方がない、でも東も大したことはなかった。「これまで通りではいけない」具体的には原子力依存、そして地震の前から続く経済規模の拡大信仰への疑問、世界の中で日本、それらの自明の枠組みを容赦なく考え直さないと私たちの命が危ない、そういう空気は確かにあった。でもすぐに消えた。それでわかったのである。こういうものかと。
いろいろひどい目にあって、そのたび復興して、それが日本の強さだから団結してがんばろう。歴史的にはそうなのだが、そこが歴史の甘いところだ。一面しか、ほんの一面しか後世に伝えられないのだ。残念がらそれを体感し思い知った。地震や戦災、国土が荒廃し多くの人命が失われたことは何度もある。しかしそのたび乗り越えてきた、そんな話は本当でもなく嘘でもない。確かに壊れたところが修復され、震災の悲惨さを思い出すような風景はなくなってきた。それはいいことだろう。でもそれだけだった、ってことでも良いのだろうか?
ドイツのジャーナリストが今回の参院選挙について述べていた中で「日本は震災によって大きく変わるチャンスを生かせなかった」と指摘していたが、その言葉については同感である。同じではないのだが、前からあった流れの一つにのったのだ。新しい流れは作れなかったのだが、その兆しはあっただけにより悲しむべき現象であった。
超高齢化、産業構造改革の端緒にもつけず、有無を言わさずアメリカの経済圏に飲み込まれてゆくのなら、沈むしかない国である。原子力を継続することがこの国のなにを守り、それとともに滅ぶという覚悟でもあるのなら最敬礼だが、結局場当たり的なその日暮らしである。その日暮らしなどは、アベくんにでもやらせておけ、という奥の院があるようなないような・・・
そして本日、自民党が参院選挙で圧勝である。アベノミクスへの評価などということで積極的に投票した人がどれだけいるのだろうか。まったく実感がないのだが、実感があるのはあれだけの災厄にあってなお、やはりまだ変わらなかったという失望である。どうやったら変わるのか、という難問が解決できない失望である。
維新がそれほど伸びず、共産党がある程度の受け皿に、なんだろうが、枠組みが変わらないのである。安倍氏がかついて、なにをさしたのか「戦後レジームからの脱却」と唱えていたが、こんなんでそれが成り立つのであろうか?改憲して税金をあげても何にも変わらないと断言できる。
ただだた、明日もその先も、我が祖国を守れなら自分からはじめなければ、というそのことだけが暗澹と続くことにやや呆れつつある。
posted by ガレージランド at 22:09| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ 映画 芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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